大判例

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東京高等裁判所 昭和42年(う)1922号 判決 1967年10月30日

本店所在地

群馬県前橋市桑町五番地

株式会社 白牡丹

右代表取締役

関口三司

本籍

群馬県勢多郡城南村大字大島九〇八番地

住居

同 県前橋市千代田町二丁目一一番四号

会社役員

関口久七

大正七年八月三日生

右の者に対する法人税法違反被告事件について、昭和四二年六月二〇日前橋地方裁判所が言い渡した有罪判決に対し被告人より適法な控訴の申立があつたので当裁判所は次のように判決する。

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は弁護人丸山勇之助作成の控訴趣意書記載のとおりであるからこれを引用し、これに対し当裁判所は次のように判断する。

弁護人の控訴の趣意一について

所論は原判決の事実誤認を主張し、被告人関口久七は被告会社の代表取締役関口三司に代り会社の業務を統轄したことはないと主張する。

しかしながら、被告人関口久七及び関口俊雄の検察官に対する各供述調書、関口三司の大蔵事務官に対する質問顛末書の記載によれば、被告会社の代表取締役である関口三司は数年来病弱であつたため、同会社の取締役たる被告人関口久七が養父三司に代つて被告会社の業務一般を統轄していたものであり、本件各逋脱行為も久七がこれを実行し、その主犯であつたことを窺うに十分であり、原判決に事実誤認の違法はない。

なお所論は被告人関口久七は代表取締役でなく、また同被告人名義をもつて法人税の申告をしたものでもないから、本件法人税法違反の犯罪の主体となり得ないと主張するが、改正前の法人税法第五一条、改正後の同法第一六四条によれば、法人の代表者だけでなく、その使用人、従業員も犯罪の主体となり得ることは明らかであり、そして被告人関口久七は、被告会社の代表者ではないが、会社業務の統轄者として本件実行行為に当つたのであるから、同被告人が、被告会社に刑罰の併科されるべき本件犯罪の主体となり得ることはいうをまたない。論旨はいずれも理由がない。

同二について

所論は被告会社に対する罰金四〇〇万円は量刑が重きに失すると主張するが、記録に現われた本件犯行の期間、業態、逋脱額等に鑑みれば、右罰金が重過ぎて不当のものであるとは認められないので、論旨は理由がない。

よつて刑事訴訟法第三九六条により本件各控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

検事 古谷菊次 公判出席

(裁判長判事 関重夫 判事 小川泉 判事 渡辺達夫)

昭和四二年(う)第一九二二号

被告人 株式会社 白牡丹

右代表者代表取締役 関口三司

同 関口久七

右被告人に係る法人税法違反被告事件について控訴趣意書を次のとおり提出いたします。

控訴趣意書

原判決は事実を誤認して被告関口久七に対して有罪の判決を言渡したる違法がある。

一、原判決が被告関口久七を有罪となしたる理由中

(1) 被告人関口久七が会社取締役として代表取締役関口三司が老齢であり、且つ病身であるため同人に代り右会社の業務を統轄していたもの

とあるが、かかる事実は全くない。関口三司は高等小学校を卒業後東京浅草の化粧品雑貨問屋に奉公して二十五歳で主人の応援を得て、その得意先等を別けてもらい、日本橋馬喰町に化粧品雑貨問屋を開業した。

同人及妻もとの努力で営業が漸次盛大となつた処、大正十二年九月の大震災で焼け出されて、止むなく前橋市に帰えり、三司の弟厳がその妻さをと桑町五番地で雑貨商を経営して居たのでこの店に同居して共同で商売を始めた。

三司夫婦が加入してから営業も盛大となり厳夫婦は郷里の城南村下大島の実家に移り、桑町の店は専ら三司夫婦が居住使用した。

前記の如く、営業が盛大となつたので、計理士の勧めで共同経営から三司夫婦と厳夫婦四人を社員とする合名会社白牡丹を昭和十三年二月一日設立した。

固より会社といつても名ばかりで一般に行われている税金対策のもので、実態は個人営業であること従前どおりであつた。

その後営業規模の拡大に伴い合名会社では税金対策の充分でないので計理士の勧めで昭和三十一年株式会社白牡丹を設立した。

設立に当つて株式は公募した形になつているが勿論これは形式で得意先、知人の名を借りたにすぎない。実質は三司夫婦、厳夫婦の間に於いても三司夫婦の力が遙かに大きく三司の個人の所有といつても過言でない状態であつた。

三司夫婦は実子がなかつたので昭和二十二年厳の娘正子と関口久七を結婚させて、これを夫婦養子にした。爾来久七は妻正子と共に桑町五番地の三司夫婦の住居に同居して営業に従事した。

しかし、その後久七、正子の間にも実子がなかつたので、正子の妹文子に関口俊雄を婿に迎えてこれを久七夫婦の養子とした。

すべて三司夫婦の意思に従つてなされた。これで俊雄夫婦も同じく桑町五番地に三司夫婦、久七夫婦と同居した。

俊雄は久七の養子であるが、事実は三司の養子と云うことであつた。であるから久七と俊雄は兄弟で呼び合つて居つた。

このようにして三司夫婦の下に久七、俊雄の両名が養子として同居して養親の下で営業に従事してきたのである。

即ち株式会社といつても個人経営と同じで取締役とは名ばかりで久七、俊雄両名とも養親夫婦の命のまま営業に従事しているにすぎない。

以上が本件の査察を受けるまでの会社の実体、会社の内容、代表取締役である関口三司と、取締役関口久七、同俊雄との間の関係である。

これらの状態から推察しても前記判決理由の如く、関口久七が会社業務統轄して居つたとの認定が全く事実に反することが明であると思量する。

関口三司が昭和三十六年脳軟化症をわずらつたことがあつたが幸に殆んど後遺症を見ざる程度に快復した。

しかし、それ以後身体を大切にするために直接営業に従事するのを避けて養子久七又は俊雄に命じて扱わせる部分が多くなつたことは事実であるが、あくまで手足として使用したので経営は自らが握つていたのである。

株式会社白牡丹は小売業である故経営も単純で仕入れと店売りのみである。

店は桑町五番地の住居一個所で女店員十名前後を使用して、三司の妻もと(昨年九月死亡)が主となり、関口さを(厳の妻)と共に店に座り二台の金銭登録器を使用して現金の出納をなしている。

夜閉店後売上を計算して記帳する。

以上が業務の実態である。

会社業務の統轄などといえる様のものでなく全く個人商店の家族が父母を手伝つて営業しているものと同じである。

(2) 被告人関口久七が法人税を免脱しようと企て同会社の商品売上の一部を公表帳簿より除外するなど経理上不正処理を行ない。

とあるが、かかる事実も全くない。前述の如き営業形態で、しかも一家の者達で運営されている以上養子にすぎない久七が自己の意思に依つて法人税の免脱を企てるが如きことは想像ができない。

養親の命のまま働き金は両親が握り僅かの小遣を支給されているにすぎない久七がなんの目的で税金の免脱を企てるであろうか、誤認であることは考えるまでもなく明白である。

確かに起訴状記載の如く、売上を一部除外して公表帳簿より除外の作業をしたことはあるが、養子として父母の命に従つて従前の方法通りに行つた次第である。毎日の売上をその夜閉店後集計する際レヂスターに打ち洩れた現金は別に計算して預金することは久七がその仕事の担任を三司に命ぜられる以前から行つていたので、久七もその指示どおりに行なつたにすぎない。久七に正常な姿に戻さんとする意思があつてもどうにもならなかつた。

久七としても敢て両親に提案することもしなかつた。現実の問題として、そこまで踏みきれなかつたとしてもそう非難されるべき態度でもないと思う。

原審で商品の棚卸の際一部除外などあつたとの証言もあるが法人税更脱の問題に影響及ぼす程度のものではない。

従つてこれらの行為が免脱の原因となつたとしても久七の企てたことではなく家族の一員としてその行為に参加したにすぎない。

事実の誤認と思料する。

(3) 法人税申告について

会社の法人税申告については会社の設立以来同一の税務代理士に委任しあり、同人の事務所で作成せられた申告書に、代表者三司の命で署名捺印して同事務所の手で申告され来たつたものである。

本件起訴事実の昭和三十八年度分以下すべて右のとおりの方法でなされたものである。

久七の意思に基き同人が申告したものではない明かに代表者の行為である。

もし起訴状記載の如く、久七の単独の申告とすれば無資格者の申告であり、会社の行為でなく全く無効の申告で、これによつて会社が拘束される理由はないと云わねばならぬ。

二、被告人株式会社白牡丹に対して罰金四百万円に処する旨の判決の言渡しをなしたが重きに失し量刑不当であると思量する。

(1) 本件会社は実態は個人企業であること既に述べたとおりである。

昭和三十一年本件会社設立されたが、その目的が前述の如く合名会社組織では同族会社として認定されて税法上不利益なので同一営業目的で同一店舗で株式会社を設立したが株式は公募の形式にしたが検査を避ける方法にすぎない。

株主も関口一家の者以外は同族会社としての認定を妨げる方法として得意先き、知人に依頼して名義を借りたものである。

三司、厳両名の共同事業から合名会社に移行する際にも唯形だけであつたので、全く清算はしておらない。

合名会社より株式会社設立に至つた場合も同様なんの清算手続はしておらない。名称変更になつたのみである。

前述の如く営業が盛大となり資産が充実していたので厖大なる含み資産が存在して新しい株式会社の経営の基となつた。

これは三司が会社と云う観念は全くなく、すべて個人営業と同一視して居つて、どのような名義であろうと結局は俗に云う、かまどの下の灰まで自分の財産、自分の所有と考えて居つたからである。

従つて合名会社時代もそうであるが株式会社になつてからも役員報酬は極端に僅少で交際費など科目はあるが、その記載をみると鰻丼一個などの記載があり失笑する次第である。

勿論総会など開催したことなく計理士の勧めで形を整えるため総会の開催した形式書類を作成して時に株式配当を実施したこともあるが受領した株主のうち名目的な株主は返還してきたそうである。

この厖大な含み資産が資本金と合して回転するのであるから会社の利益も相当にのぼり、永年に亘る蓄積が本件に明かにされて簿外預金と表現されているのである。

またこの含み資産の在庫品の回転が仕入れと売上げのアンバランスを調節してきたのである。

原判決認定の如く

(1) 昭和三七年九月一日より翌三八年八月三十一日までの営業年度に於て所得金額一二、九四四、四八一円であるに拘らず、申告に於て所得金額二、三五五、二二九円と虚偽の申告した。

とあるがしからば果して期首の在庫品と右年度の仕入品の総額からその所得が得られているであろうか。

本件会社は小売商であるから仕入れてそれを販売することに依り所得が生ずるものである。

それ以外に本件会社は所得を得る源泉は存在しない、であるとすればどうしてもその年度の仕入れの金額を明らかにすることに依つて所得の金額が確認せられなければならない。単にその年度の預金の増加があり、その預金が架空名義か、誰れの所有でもない以上、会社のもの、会社のものとすればその年度の所得から預金したものと断ずるのは早計ではないかと思う。

一般にはこの理論が適用せられるかもしれないが、少くとも本件会社の如く合名会社、株式会社の形態であつても全く個人営業であるような特殊な事業であるに加えて、会社としての計算が単に税金申告の便宜上にのみなされて少しも実体に触れず、当事者は会社も個人も全く同一視して資産は自分の個人所有と考えて勤険貯蓄、只々その資産の増加のみ希つてきた多年の結果がこの異常な事態となつたのであるから更にこの預金の生成の経過を探究すべきものと思う。

審理不尽と思う。

(2) 刑事第二の事実、第三の事実も全く同様で単に金があるからその年度の所得と云うか、その年度の売上げと仕入を計算するときはかかる所得金額は出てこない。

尤も本件に於ては前橋税務署の査察官に当局の推定する数字を示されて、これに依り自首申告を勧告されて、この数字に基き計理士がバランスシートを作成して納税した次第である。

このように本件の数字は全く帳簿と関係なく、銀行預金を基礎として算出されたものである。審理不尽は明らかであると思量する。

(3) 右の所論理由がないとしても会社は自首申告して脱税額を直ちに完納している。

代表者は旧来の人間で教育も受けず近代法の会社理論も暗いので前述の如く、会社も個人も同一視して会社は形だけの存在であつたので本件の如き過ちをなすに至つた次第である。

しかも自首申告と同時に所定の税金はすべて完納しているのであるから原審判決は重きに失するので、更に寛大な裁判を希うものである。

昭和四十二年九月二十三日

右弁護人 丸山勇之助

東京高等裁判所第一刑事部 御中

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